English

英語ページを見る

海野大地

株式会社Kendo Spirit 代表取締役

はじめに

私は、剣道が大嫌いだった。

高校卒業後、「もう二度と剣道はしない」と本気で心に誓っていた。それなのに今、私はKendo Spiritを創業し、毎日のように剣道について考え、世界中の人へ剣道を伝えている。真逆の発想に思えるが、振り返ると、私の根っこは幼い頃から何も変わっていない。子どもの頃、私は親から「なんでなんでマン」と呼ばれていた。何に対しても「なぜ?」を繰り返し、納得できるまで諦めなかった。大人になった今も、それは変わっていない。高校最後の敗北も、イギリス留学の断念も、会社の倒産も、私は「なぜそうなったのか」「この経験を人生にどう生かせるのか」を考え続けてきた。そして、剣道を教え始めてからも、「なぜ礼をするのか」「なぜ武士道なのか」「本物の日本とは何か」と問い続けた。考え続けた先にあったのが、Kendo Spiritだった。このページでは、私が何を考え、どのような選択を重ね、Kendo Spiritに至ったのかを書いている。

私の半生

剣道とともに育った幼少期・学生時代

私が剣道を始めたのは5歳の頃。姉二人が地元・大阪の道場で稽古をしていた影響で、幼い頃から私もよく道場へ遊びに行っていた。竹刀を振る姉たちや真剣な表情で稽古に励む大人たちを眺めるうちに、「自分もやってみたい」と思うようになるのに、それほど時間はかからなかった。末っ子だった私は、ごく自然な流れで竹刀を握るようになった。

最初の一年ほどは防具を着けず、足さばきや素振りなどの基礎を、先生方から一つひとつ丁寧に教わった。当時の思い出として今でもよく覚えているのは、休憩時間のことである。一度、私は休憩中に眠ってしまったことがあった。そのとき誰にも起こされなかった私は、「寝ていれば起こされない」ということを小さいながら学んだ。それ以来、休憩時間になる度によく、眠ろうとしていた。もちろん、寝たふりをしていることも少なくなかった。

小学生になる頃には防具を着け、本格的に稽古が始まった。道場には年上の先輩が多く、小柄だった私にとって、その稽古についていくだけでも必死だった。泣きたくなるほど厳しい稽古も数多くあった。それでも、負けず嫌いだった私は、途中で逃げ出したり、泣いて稽古をやめたりしたことは一度もない。ただひたすら、一生懸命稽古に取り組んでいたことを覚えている。

その積み重ねもあってか、地元の市大会ではほとんど負けることはなかった。しかし、大阪府大会のようなより高いレベルの大会になると、まったく歯が立たなかった。同じ年代にも、自分よりはるかに強い選手が数多くいることを知り、自分の実力はまだまだだということを実感していた。

中学生になってからも、引き続き地元の道場で剣道を続けた。当時、強い選手の多くは強豪中学校の部活動で厳しい稽古を積んでいたが、私はそこまで危機感を持っていたわけではなかった。特に焦ることもなく、「高校で本気になれば日本一になれる」と本気で考えていた。今振り返れば、考えが甘かったことは言うまでもない。しかし、その頃の私は、高校では誰よりも努力しようと本気で思っていた。

高校進学を考えたとき、私は道場の先輩も通っていた、大阪でも当時トップクラスの強豪校である清風高校を目指した。実際に稽古へ参加し、顧問の先生と話をする機会をいただいた際、「第二志望はどこか」と聞かれた。そのとき私は迷うことなく、「清風高校しか考えていません」と答えた。先生に、「人生設計としては第二候補も考えておくべきだ。他にも候補はあるだろう」と返された。しかし私は再び、「清風高校しか考えていません」と答えた。先生は呆れた様子だったが、結果として剣道推薦で清風高校へ進学することができた。先生には答えなかったが、その「第二候補」の高校は、数年後、私が人生で最も勝ちたかった試合で敗れる相手となる。もちろん、そのときの私は知る由もない。ただ、希望に満ち溢れていた。

剣道漬けの高校時代

日本一になるという夢と希望を抱き、私は清風高校へ進学した。しかし、現実はもちろんそんなに甘くはなかった。同期には大阪だけでなく、他の都道府県からトップレベルの選手が集まっていた。中学時代を温々と過ごしてきた私にとって、日本一どころか、試合に出場することさえ簡単なことではなかった。

一年生最初の練習試合。九人の一年生だけでチームを組んだその日、先生から告げられた私のポジションは「補欠二」だった。五人制の団体戦で言えば、九人中七番目という評価である。もちろん悔しかった。それでも、その頃の私は「まだこれからだ」と信じていた。努力をしなければ勝てないことは分かっていた。そして父からは、幼い頃から「時間は二度と返ってこない」と言われ続けていた。だから、自分にできる努力はすべてやろうと思った。朝のランニングでは常に一位を目指し、筋力トレーニングも誰よりも取り組んだ。稽古が終わった後も、一人残って自主練習を続けた。

努力は少しずつ結果となって表れた。年に数回しかない部内戦では、当初まったく勝てなかった私が上位へ入るようになり、一位になったこともあった。今振り返っても、あの頃の自分は本当によく努力したと思う。もちろん反省はある。しかし、「もっと努力しておけばよかった」という後悔だけは一切ない。

そして迎えた、高校生活最後のインターハイ予選団体戦。私たちは、この日のためだけに三年間稽古を積み重ねてきた。優勝できる。本気でそう信じていた。順調に勝ち上がり、決勝戦。相手は、かつて先生から「第二志望はないのか」と聞かれた、あの高校だった。絶対に負けたくなかった。しかし、試合中、一瞬だけ迷いが生まれた。その一瞬を、相手は逃さなかった。私は負けた。そして、その負けが響き、チームも敗れた。あれほど泣いたこと、あれほど悔しかったことは、それまでの人生で一度もなかったと思う。

高校卒業後も、その敗北は私の中から消えなかった。決められたあの一瞬は何度も頭に浮かび、そのことを考え始めると眠れない夜が一年以上続いた。剣道の動画を見ることさえ苦しかった。あれほど好きだった剣道を、私は心の底から嫌いになっていた。そして、もう二度と剣道はしないと心に決めていた。

英語を通して世界へ

高校卒業後の進路を考えたとき、私の中に剣道を続けるという選択肢はなかった。その代わり、将来のために何か新しいことを学びたいと考えた。そして昔から興味のあった英語を、本気で学ぶことを決めた。

英語を学ぶなら、日本にいるより海外へ行った方が早い。そう考えた私は、イギリスの大学への進学を目指すことにした。もちろん、そのためには十分な英語力が必要。入学条件として求められていたのは、最低でも英検準一級レベルに相当する英語力である。高校まで剣道しかしてこなかった私は、当時の英語力が模試で偏差値30台だったことを覚えている。イギリスの大学へ提出するための英語試験までは半年ほどしか残されていなかった。客観的に見れば無謀だったと思う。それでも当時の私は、「やればできる」と本気で信じていた。結果的に、それはできた。英語力は必要な基準まで到達し、希望していたイギリスの大学から合格をいただいた。あとは入学金を振り込むだけだった。

しかし、そのタイミングで新型コロナウイルスが世界中へ広がり始めた。大学進学は断念せざるを得なかったとはいえ、その頃は「今年は無理でも来年には行けるだろう」と考えていた。しかし、一年経っても終息する気配はなかった。

その後も英語の勉強は続けており、英語力を活かして英会話教室で講師として働き始めた。ネイティブの先生と日常的にコミュニケーションを取りながら、小学生へ英会話を教える環境は、私の英語力をさらに成長させてくれた。

一年間働いた後もコロナは終息せず、これ以上待ち続けることは難しいと判断し、イギリス留学は正式に諦めた。それでも、「せっかく身につけた英語を使って海外へ行きたい」という気持ちは変わらなかった。そんなときに見つけたのが、アメリカのクルーズ会社の豪華客船でウェイターとして働く求人だった。渡航費や滞在費、食費は会社負担。そして、英語が話せることが当たり前の環境で生活できる。「めっちゃ良い。」そう思い、ダメ元で応募した。結果は合格だった。

初めての海外。初めての国際線。そして集合場所のギリシャへ向かった。希望に満ち溢れていた一方で、現実は想像以上に厳しかった。乗船初日、説明はほとんど聞き取れず、解散と言われても次にどこへ行けばいいのか分からない。何をすればいいのかも分からず、その場にいた人へ何度も尋ねながら必死についていった。これこそ私が求めていた「英語が話せることが当たり前の世界」だった。しかし、想像以上に苦しく、自分の未熟さを痛感する毎日でもあった。

それでも四か月間の契約を無事に終えることができた。その間に七か国を訪れ、英語力だけでなく、人としても大きく成長することができたと思う。

そして、この四か月で得たものは英語だけではなかった。世界中の人々と話す中で、日本に興味を持っている人は驚くほど多かった。一方で、剣道を知っている人は想像以上に少なかった。私にとって剣道は、日本を代表する伝統文化の一つであり、侍と切り離せない存在だと思っていた。しかし、それは私の思い込みだった。同時に、海外で生活したことで、私自身も日本の良さに改めて気づくようになった。日本では当たり前だと思っていたものが、海外では決して当たり前ではなかった。外に出たからこそ、日本という国の素晴らしさが見えた。そして同時に、その日本の中にある剣道という文化が、世界ではまだ十分に知られていない現実も知った。世界から見た日本と、日本で暮らす私が見ていた日本は、大きく違っていた。この気づきは、その後の人生、そしてKendo Spiritを創るという選択へ、大きな影響を与えることになる。

上京、そして起業へ

日本へ帰国した後、私は次に何をすればいいのか分からなかった。これまで英語を学ぶことに全力を注いできた。しかし、英語は目的ではなく、あくまでコミュニケーションのための手段。それなら、英語以外のスキルを身につけよう。

そう考えた私が選んだのは営業だった。もともと営業という仕事に強い憧れがあったわけではない。ただ、人と話すことが好きだったこと、そして営業力はどんな仕事にも活かせる力だと思ったことが理由だった。就職活動の末、東京にある営業会社へ入社することになった。特別その会社に強い思い入れがあったわけではない。しかし、東京という新しい環境で働けることに大きな期待を抱いていた。将来その会社で働き続けるかどうかは分からない。それでも、まずは目の前の仕事を一生懸命やってみようと思った。営業では、ひたすら電話をかけ、商談を重ねた。入社して間もなく架電数は常にトップとなり、アポイント獲得数で一位になったこともある。営業という仕事は決して簡単ではなかったが、とにかく全力で取り組んだ。

しかし、その矢先だった。入社からわずか三か月で、会社は倒産した。しかも、そのうち二か月分の給与は未払いだった。上京したばかりで貯金もほとんど使い果たしていた私は、生活費を工面するために借金をしながら生活することになった。もちろん、別の会社へ就職するという選択肢もあった。しかし私は、「一度、自分で何かをやってみよう」と考えた。

倒産した会社のビジネスモデルを参考に、自分なりに事業を立ち上げた。電話営業をし、訪問営業をし、自分で作ったサービスを販売しようと必死だった。結果として売上は一円も上がらなかった。それでも、この挑戦を後悔したことはない。ビジネスの難しさを身をもって学ぶことができたし、何より「誰かに雇われる」のではなく、「自分で道を切り開く」という考え方が身についた。

生活費を稼ぐため、フィットネスジムでアルバイトも始めた。そこでは無料でトレーニングができたため、勤務後は筋力トレーニングに励み、気づけばベンチプレスは100kgを2回挙げられるまでになっていた。

そんな生活を続ける中で、ふとクルーズ船での経験を思い出した。海外で日本の魅力に気づいたこと。世界では剣道がほとんど知られていなかったこと。そして、自分自身が約20年近く剣道を続け、英語も学んできたこと。それぞれ別々だと思っていた経験が、一つにつながった瞬間だった。「自分の剣道経験は、日本文化を世界へ伝えるために役立つのではないか。」そう考えた私は、アルバイトを続けながらKendo Spiritを立ち上げた。

最初の参加者は月に数人ほどだった。しかし、一人、また一人と参加者が増えていった。それ以上に嬉しかったのは、参加者の反応だった。「剣道って楽しい」「礼や相手を尊重する考え方に感動した」「剣道の心は素晴らしい」そうした言葉をいただくたびに、剣道を伝える価値を実感した。そして、それ以上に大きな変化があった。私自身が、剣道の楽しさを改めて知ったことである。高校卒業後、「二度と剣道はしたくない」と思っていた私が、人に教える立場になったことで、剣道をまったく違う角度から見るようになった。参加者から投げかけられる何気ない質問は、私自身への問いにもなった。「なぜ礼をするのか。」「なぜ蹲踞をするのか。」「なぜ武士道なのか。」答えようとすると、自分でも十分に説明できないことがある。そのたびに調べ、考え、また新しい疑問が生まれる。教えることは、知っていることを伝えることではなかった。教えることは、私自身が学び続けることだった。そうして剣道を学び直すほど、その奥深さに惹かれていった。技術だけではない。人としてどう生きるかという考え方まで含めて、剣道は本当に素晴らしい文化なのだと改めて感じるようになった。だからこそ、「もっと知りたい」「もっと伝えたい」という思いは、日を追うごとに強くなっていった。「これが、自分のやるべきことなのかもしれない。」そう思った私は、アルバイトを辞める決断をした。そして、株式会社Kendo Spiritを創業した。

私は何を考え、どう選択してきたのか

これまでの人生を振り返ると、一見すると統一性がないように見えるかもしれない。剣道に打ち込み、英語を学び、営業会社へ就職し、そして起業した。しかし、振り返ってみると、私の意思決定には一つの共通した考え方があった。それは、目的を考える。目的から逆算して手段を考える。実行する。結果を振り返る。そして、また新しい目的を考える。私は、人生をこの繰り返しだと考えている。

目的を考える

「自分の人生の目的が分からない」と言われることがある。しかし、人生の目的が明確な人はほとんどいないと思っている。だからこそ、「なぜ?」を繰り返し、自分自身に問い続けることが大切だ。例えば、「良い大学へ行きたい」と思ったとする。なぜ良い大学へ行きたいのか。良い会社へ就職したいから。では、なぜ良い会社へ就職したいのか。お金を稼ぎたいから。なぜお金を稼ぎたいのか。その「なぜ」を繰り返していくと、自分でも気づいていなかった本当の目的が少しずつ見えてくる。目的が変われば、選ぶべき手段も変わる。だから私は、何かを始める前に、まず目的を考えるようにしている。

手段を考え、実行する

目的が決まれば、次はそこから逆算して手段を考える。高校時代、私は「努力すれば結果はついてくる」と信じていた。しかし、最後の大会で敗れ、その考えは大きく変わった。努力そのものではなく、目的に対して適切な努力が必要なのだと学んだ。それ以来、私は目的から逆算して考えるようになった。また、人は意思だけでは簡単に怠けてしまう。私自身、自分の意思を過信していない。だからこそ、自ら厳しい環境へ飛び込む。強豪校へ進学したことも、英語しか通じない環境へ飛び込んだことも、営業会社へ入社したことも、起業したことも、すべて目的から逆算した結果である。外から見ると「チャレンジしている」と思われることが多いが、私にとっては挑戦そのものが目的ではない。目的へ近づくための最も合理的な手段を選んできただけである。

結果を振り返る

結果が出たら、必ず振り返る。自分に改善できることがあれば反省し、次へ生かす。一方で、自分ではどうすることもできない出来事もある。高校最後の敗北。イギリス留学の断念。会社の倒産。これらは、今さら変えることはできない。しかし、その出来事を人生の中でどのような意味を持つ経験にするかは、自分で決めることができる。私は、「成功したか、失敗したか」よりも、「この経験をこれからの人生にどう生かせるか」を考える。もし高校最後の試合で勝っていたら、今の考え方は生まれなかったかもしれない。もし会社が倒産していなければ、起業していなかったかもしれない。人生は出来事そのものではなく、その出来事をどう受け止め、どう生かすかで大きく変わる。私はそう考えている。

そして、また新しい目的を考える

目的は、一度決めたら終わりではない。人生を通して少しずつ変わり、深まっていくものだと思っている。私自身、Kendo Spiritを創業したことが答えだったとは思っていない。むしろ、創業してからの方が多くの問いが生まれた。本物の日本とは何か。武士道とは何か。なぜ剣道なのか。世界へ本当に伝えるべき価値とは何なのか。私は今も、その答えを探し続けている。人生とは、答えを持つことではなく、問い続けることなのかもしれない。

ページ上部へ戻る